ジェフリー・ダーマーが死体を愛したのはなぜ?ゲイの連続殺人犯が社会に与えた影響

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1991年7月22日、米国ウィスコンシン州ミルウォーキーで、片手に手錠をつけた男性が警察官に助けを求めた。男性が逃げてきたアパートを警察が捜索すると、そこから複数の殺人事件につながる証拠が見つかり、住人のジェフリー・ダーマーが逮捕された。ダーマーはその後、1978年から1991年までに男性や少年17人を殺害したことを認めた。1992年に終身刑を言い渡され、1994年には服役先の刑務所で別の受刑者に殺害されている。

この事件が今なお語られるのは、被害者の多さや犯行内容の異様さだけによるものではない。被害者には若い男性や有色人種が多く、ダーマー自身が男性を性的対象としていたことから、事件は同性愛や人種、警察の対応をめぐる議論へと広がった。そこでは「ダーマーはなぜ男性ばかりを狙ったのか」という犯罪心理上の問いと、「なぜその被害が長く見過ごされたのか」という社会の側の問いが、重なり合うことになる。

孤立と飲酒、そして支配への欲求

ジェフリー・ライオネル・ダーマーは1960年5月21日、ミルウォーキーで生まれ、その後は家族とともにオハイオ州で育った。幼少期は比較的活発だったとされるが、成長するにつれて無口になり、人との付き合いも少なくなっていった。家庭では両親の関係が悪化し、激しい口論が続いていた。両親は、ダーマーが高校を卒業した1978年に離婚している。

少年時代から、ダーマーは動物の骨や死骸に強い関心を示していた。拾ってきた死骸から骨を取り出したり、それを保存したりしていたことも知られている。思春期に入ると飲酒が増え、高校では授業中にも酒を飲んでいたという証言が残っている。同じころ、男性への性的な関心がはっきりしていき、さらに「相手を自分の思いどおりにしたい」という空想も強くなっていった。後の裁判では、10代のころから、動かない相手や死体を性的対象として思い描くことがあったとも説明されている。

高校卒業後の1978年、18歳のダーマーは最初の殺人を犯した。その後、オハイオ州立大学へ進学したものの短期間で退学し、父親の勧めで陸軍に入隊した。西ドイツに勤務したが、飲酒問題は続き、1981年に除隊している。祖母の家へ移った後も生活は安定せず、公然わいせつなどで逮捕された。最初の殺人から約9年間は殺人を犯していないが、1987年に再び殺害を始めると、その後は犯行の間隔が急速に短くなった。

興味深いのは、周囲から見たダーマーが、常に暴力的で目立つ人物だったわけではない点である。むしろ物静かで、礼儀正しいと受け取られることさえあった。その一方で、長く続く人間関係を築くことは不得手で、孤独な生活と大量の飲酒を繰り返していた。事件後の精神鑑定で繰り返し問題になったのも、この孤立と人間関係への不安、性的な空想、そして相手を完全に支配したいという欲求だった。

ダーマーの犯罪と同性愛は、どう結び付けて考えられたのか

ダーマーは男性に性的魅力を感じており、17人の被害者もすべて男性だった。そのため、逮捕直後から「同性愛と殺人にどのような関係があったのか」が大きな論点になった。

1992年の裁判でよく知られているのが、法精神科医ジョージ・パレルモの見解である。パレルモは、ダーマーには強い支配欲があり、同時に相手から拒絶されることへの強い恐れがあったと考えた。さらに、自分が男性にひかれることへの葛藤があり、その感情を生み出す相手そのものを攻撃したのではないかとみた。言い換えれば、男性にひかれる自分自身を受け入れられず、その怒りや嫌悪が、ひかれた男性へ向かったという解釈である。

パレルモはまた、ダーマーを性的サディストとも評価した。相手を支配し、傷つけることに性的な意味があったという見方である。この解釈では、同性愛そのものよりも、同性への欲望を本人がどう受け止めていたのかが問題になる。

一方で、当時の米国には、同性愛そのものを精神的な問題として捉える精神科医もまだ存在した。代表的な人物がチャールズ・ソカライデスである。米国精神医学会が1973年に同性愛を精神疾患の分類から外した後も、ソカライデスは同性愛を精神発達上の障害とみなす立場を取り続け、1995年の著書でもダーマー事件に触れている。こうした議論の中では、ダーマーは同性愛と攻撃性を結び付ける極端な例として利用された。

現在の精神医学では、同性に性的魅力を感じること自体は病気とは考えられていない。ダーマーについて問題とされるのは、相手の意思を奪って支配したい欲求、死体を性的対象とする空想、性的サディズムの有無、人格面の問題などである。

報道や大衆文化の影響も大きかった。社会学者マーサ・シュミットは1994年、ミルウォーキーのゲイやレズビアンの活動家への聞き取りと、193件の新聞・雑誌記事を分析し、事件後にダーマー個人の犯罪が同性愛者全体の性や生活を語る材料として使われたことを指摘している。文化研究者イアン・バーナードも、ダーマーが「同性愛者の殺人犯」として強く意味付けされたことで、事件の見え方そのものが変わったと論じた。

しかし裁判では、これとは異なるダーマー像も示されていた。精神科医フレデリック・フォスダルは、ダーマーが本当に求めていたのは死体ではなく、「生きているが、自分に逆らわない男性」だったと考えた。この見方では、中心にあるのは死そのものへの興味ではない。相手が自分を拒絶せず、逃げず、いつまでも自分のそばにいることが重要だった。

この違いは小さくない。もし死そのものが目的だったのなら、ダーマーは死体にひかれた人物として理解できる。だが、相手を完全に所有することが目的だったのだとすれば、問題の中心はむしろ人間関係にある。普通の恋人であれば、関係を断ることも、相手から離れることもできる。ダーマーが求めたのは、その自由を持たない相手だった。

なぜ若い男性や少年が狙われたのか

ダーマーの被害者は17人すべて男性で、年齢は10代半ばから30代前半に集中していた。未成年者も含まれていたが、中心は20代の若い成人男性だった。1991年にダーマーのアパートから見つかった11人を調べた法医学研究では、年齢は14歳から33歳で、多くが20代から30代のアフリカ系米国人男性だった。

被害者全員がゲイだったわけではない。性的指向が確認されていない人もいる。ダーマーはゲイバーだけでなく、ショッピングモールやバス停、路上などでも若い男性に声をかけていた。「写真のモデルになれば金を払う」「一緒に酒を飲まないか」と誘い、自宅やホテルへ連れていく方法を繰り返している。

外見についても、ある程度はっきりした好みがあったとみられている。法医人類学の研究では、被害者の顔の形や身長などに一定の共通性がみられ、裁判でも、ダーマーが若く、細身の男性に強くひかれていたことが指摘された。少年が被害者となったことも、この「若さ」への好みとつながっている。1987年には14歳のジェームズ・ドクステイター、1991年には同じく14歳のコネラク・シンタソムフォンが殺害された。さらに1988年には、13歳の少年に写真撮影を持ちかけて自宅へ誘い、性的暴行を加えたことで有罪判決を受けている。

ここでも、年齢や外見だけを見ていては足りない。ダーマーが求めていたのは、若い男性の身体であると同時に、自分から離れない相手でもあった。精神科医フレデリック・バーリンは、ダーマーが被害者との「関係を続けたい」と考えていたと説明した。フォスダルも、生きたまま完全に自分へ従う相手を作ろうとしていたとみている。若い男性への性的な好みと、「拒絶されない相手を所有したい」という欲求が重なったところに、被害者選びの特徴が表れている。

さらに、1980年代末から1990年代初めの社会環境も、犯行が長く続いた背景として無視できない。当時は、ゲイであることを家族や職場に隠して生活する男性も多く、ゲイバーでは本名ではなくニックネームだけで知り合うこともあった。AIDSが大きな社会問題となっていた時期でもあり、ゲイ男性の生活は一般社会から見えにくい部分を抱えていた。ミルウォーキーのLGBTQの歴史を調べた研究者や当時の関係者によれば、バーで知り合った男性が突然姿を見せなくなっても、その人の家族や住所を知らないため、すぐに失踪として警察へ届けられるとは限らなかった。

犯人の嗜好と、被害者の置かれた社会的な立場。この二つが重なったところで、事件は長期化していった。

ダーマー事件がゲイ・コミュニティに残したもの

1991年5月27日、14歳のコネラク・シンタソムフォンがダーマーのアパートから外へ逃げ出した。少年は普通に会話できない状態で、近隣の女性たちが異変に気づき、警察へ通報した。そこへ現れたダーマーは、少年は19歳の恋人で、酒を飲んだ後にけんかをしただけだと説明した。警察官はこの話を受け入れ、少年をダーマーの部屋へ戻した。シンタソムフォンはその後殺害され、ダーマーはさらに4人を殺した後、7月に逮捕されている。

この警察対応は、事件発覚後に強い批判を浴びた。「ゲイ男性同士の恋人げんか」と受け取ったことで、少年を保護すべき事件として十分に調べなかったのではないかと考えられたからである。当時のミルウォーキーでは、警察と黒人住民、アジア系住民、LGBTQの人々との間に、すでに不信があった。シンタソムフォン事件は、その問題を象徴する出来事となった。

同じ事件が、別の方向からもゲイ・コミュニティを傷つけた。ダーマーが男性を性的対象としていたことが大きく報じられ、「同性愛者の連続殺人犯」というイメージが広まったからである。シュミットの調査では、ダーマー逮捕後、ミルウォーキーのゲイやレズビアンの活動家たちが、個人的・政治的な攻撃への対応を迫られたことが記録されている。当時はAIDS流行によってゲイ男性への偏見が強かった時代であり、そこへダーマー事件が重なった。一人の殺人犯の行動が、同性愛者全体について語る材料として使われたのである。

その後、地元のLGBTQ活動家は、ダーマーをゲイ男性全体の代表のように扱う報道に抗議し、警察との関係を見直す活動も進めた。LGBTQの活動家やゲイバーの関係者が警察官向けの研修に協力するようになり、ゲイ・コミュニティと警察が直接話し合う機会も増えた。また、被害者に黒人男性が多かったことから、LGBTQの活動家とアフリカ系住民の活動家が協力する動きも生まれた。

ダーマー事件における「同性愛」の問題は、二つの方向から見る必要がある。一つは、ダーマー本人が若い男性を性的対象としていたことと、その欲望を本人がどう受け止めていたのかという問題である。もう一つは、社会の側が同性愛をどう見ていたのかという問題だ。

逃げてきた少年は「ゲイ男性同士の問題」と見なされ、十分に守られなかった。その一方で、犯人が同性愛者だったことは大きく報じられ、同性愛者全体への偏見を深める材料となった。この二つは、同じ事件の中で同時に起きている。

ダーマー事件を一人の異常な殺人犯の物語として読むだけでは、見えてこないものがある。どのような若者が狙われ、なぜその失踪が早く問題にならず、警察はなぜ少年を犯人の部屋へ戻したのか。そうした問いまで広げていくと、この事件はダーマー個人の犯罪心理を超えて、当時の米国社会がゲイ男性や有色人種の若者をどのように見ていたのかを映し出す事件でもあったことが分かる。

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