ピアスとゲイカルチャーの関係とは?フェチやSMでの発展からファッションとなるまで

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現在では、ピアスは性別や性的指向を問わず、ごく一般的なファッションの一つになっている。ところが、欧米で現代的なボディピアス文化が形づくられた歴史をたどると、そこにはゲイ男性、とりわけレザーカルチャーやSMなどの性的サブカルチャーが少なからず関わっていたことが分かる。

今日の感覚では、ピアスと性的指向を直接結びつけることには違和感があるかもしれないが、1970年代から1980年代にかけては、男性が身体にピアスを施すという行為そのものが、現在とはかなり異なる社会的意味を持っていた。

よく知られているのは、「右耳にピアスをしている男性はゲイ」という俗説である。しかし、ゲイカルチャーとピアスの関係は、耳の左右による暗号だけに還元できるものではない。そこには、自分の身体をどのように見せるかを自分で選ぶこと、従来の男性らしさから距離を取ること、仲間を見つけること、さらには性的少数者としての自己像を身体によって形にすることなど、複数の意味が重なっていた。

現代ボディピアスを育てたゲイ男性とレザーカルチャー

現代の欧米におけるボディピアス史を考えるうえで、欠かすことのできない人物の一人がアメリカのピアサー、ジム・ウォードである。ウォードは1960年代後半にニューヨークでゲイ男性のモーターサイクルクラブに参加し、その過程でピアスを経験した。その後もゲイのモーターサイクルクラブやSM文化との接点を持ち、1973年にはロサンゼルスへ移住する。1975年、彼はウエスト・ハリウッドの自宅を使って、後に「ガントレット」と呼ばれるピアスビジネスを始めた。

注目すべきなのは、初期のガントレットが、現在のような一般向けファッションショップとして誕生したわけではなかったという点である。ウォード自身の回想によれば、協力者であったダグ・マロイは、ゲイ向け、あるいはフェティッシュ向けの出版物に広告を出すなどして、ピアスに関心を持つ男性たちと連絡を取っていた。ロサンゼルス周辺にはそうしたゲイ男性が少なくとも数十人おり、彼らが集まって食事をし、その後、希望者が仲間に見守られながらピアスを開けるような会も開かれていたという。

このような集まりは、単なる施術の場というより、身体表現に関心を持つゲイ男性たちの小さなコミュニティとして機能していた。ウォードは後年、1970年代初頭の西洋社会において、本格的なボディピアスを行う人々はまだ少数で、互いに離れて存在する「クローゼットのフェティシスト」のような状態だったと回想している。現在では街中で普通に見かけるピアス専門店につながる文化の一部が、当時は社会の表側からは見えにくかったゲイ男性やフェティッシュ文化のネットワークの中で育てられていたのである。

1978年、ガントレットはウエスト・ハリウッドに店舗を開き、その後、サンフランシスコやニューヨークなどにも展開した。さらにウォードは1977年に、ピアス専門誌『ピアシング・ファンズ・インターナショナル・クォータリー』、略称『PFIQ』を創刊している。施術方法やジュエリー、愛好者の写真などを掲載したこの雑誌は、それまで互いを見つけにくかったピアス愛好者を結びつける役割を果たした。

初期のボディピアス文化では、ゲイ男性、レザー、SM、フェティッシュといった文化が互いに重なり合っていた。ウォードの回想によれば、1980年代にはS&M関係の出版物に対する規制を警戒し、『PFIQ』に掲載する内容について慎重になった時期もあったという。今日、ピアスを純粋なファッションとして眺めているだけでは分かりにくいが、その近代的な発展の一部には、ゲイ男性の社交空間と性的サブカルチャーが密接に関わっていた。

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なぜピアスはゲイカルチャーと結びついたのか

ピアスがゲイカルチャーの一部と結びついた背景には、身体そのものがアイデンティティを表現する重要な場所だったという事情がある。ゲイカルチャーの歴史を見れば、服装、髪型、ひげ、筋肉、革製品、アクセサリーなど、身体の見え方を意識的に作り変える文化がたびたび現れる。それは単におしゃれを楽しむというだけではなく、自分がどのような男性でありたいのか、あるいは社会から期待される男性像とどのような距離を取るのかを示す方法にもなっていた。

ピアスは、そのような身体表現の一つとして位置づけることができる。社会学者ヴィクトリア・ピッツは2000年に発表した研究で、ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーのボディモディフィケーション経験者へのインタビューを分析している。対象者は6人と小規模ではあるが、そこではピアスやタトゥーを含む身体改変が、単なる装飾としてではなく、自分のアイデンティティを公の場で示したり、異性愛を当然のものとする社会規範と距離を取ったりする行為として語られていた。

こうした研究から分かるのは、「ゲイだからピアスをする」という単純な因果関係ではない。むしろ重要なのは、少数者として自分の身体をどのように扱い、どのような姿で社会の中に現れるのかという問題である。身体を自分の判断で変える行為は、人によっては、自分の身体に対する主導権を取り戻すような感覚と結びつくことがある。

そのことを具体的に示す事例もある。ローマのLGBTQ+クラブ「ムッカサッシーナ」に通うゲイ男性たちを対象にした民族誌研究では、「ファビオ」という男性の経験が紹介されている。彼は女性との9年間の交際を終え、自らがゲイであることを公にするようになった時期に、複数のピアスを開けた。それまで表に出すことのできなかった自分を示し、社会で「普通」とされる姿とは異なることをしてみたいという感覚があったと語っている。

この事例では、カミングアウトと身体の変化が同じ時期に重なっている。ピアスは単なるアクセサリーではなく、それまで抑えていた自己表現を身体の上に現す行為の一つになっていた。もちろん、こうした経験をすべてのゲイ男性に当てはめることはできないが、ピアスとクィアな自己表現が結びつく場合の具体的な姿を示すものとして興味深い。

「右耳のピアス=ゲイ」というコード

ゲイ男性とピアスについて最も広く知られているのが、「右耳にピアスを着けている男性はゲイである」という話だろう。これは完全な創作ではない。1970年代から1980年代のアメリカなどでは、男性がどちらの耳にピアスを着けているかと性的指向を結びつける社会的コードが存在したことを示す同時代資料が残っている。

1981年の『ニューヨーカー』には、ニューヨークで男性が右耳にリングを着けていると同性愛者だと受け取られるという、当時の社会的認識が記録されている。1991年の『ロサンゼルス・タイムズ』も、「ストレート男性は左耳、ゲイ男性は右耳」という考え方が知られていたことを紹介している。同紙の取材に対し、ゲイ向け雑誌『アドヴォケート』の編集者リチャード・ルイヤールは、1970年代に多くのゲイ男性がイヤリングを着け始めたころ、右耳が性的な意味を伝えることがあったと説明している。

もっとも、これはゲイ男性全員が従っていた統一的なルールではなかった。都市や年代、コミュニティによって意味は異なり、1980年代後半から1990年代初頭には、すでに実用的なサインとしての意味はかなり弱くなっていた。むしろ後になると、一般社会の側が「右耳ならゲイ」と単純化して理解し、ステレオタイプとして広めた面も大きい。

それでも、耳の左右に意味が与えられたこと自体は、当時のゲイカルチャーを考えるうえで重要である。性的指向を誰にでも公表できる社会ではなかったため、服装やアクセサリーを使い、自分が何者であるのかを必要な相手にだけ伝える文化が発達したからだ。ゲイ男性のレザーカルチャーで知られる「ハンカチ・コード」も、色や身につける位置に意味を持たせる同様の文化として知られている。そうした時代背景の中では、ピアスもまた、身体を使ったコミュニケーションの一部となり得たのである。

マサキ
マサキ

好みの男性がピアスをつけてると、俺もその位置を確認しちゃうな。片耳だけのピアスなんかを見ると、「この子もゲイかも?」と期待するが、だからといって、「あなたはゲイですか?」って聞けない。違ったら失礼だからな。現在は「右耳のピアス=ゲイ」は成り立たないぞ。

クィアの文化から、より広いファッションへ

近年では、現代ボディピアスの歴史そのものを、クィア文化との関係から再検討する動きも進んでいる。2026年、ロサンゼルスの南カリフォルニア大学図書館にある「ONEアーカイブズ」は、「NEED ME――モダン・プリミティブ神話の再検討」と題する展覧会を開催した。世界有数のLGBTQ資料を所蔵するこの機関では、ガントレット関係資料、雑誌、書簡、写真、美術作品などを通じて、西洋における現代ボディピアスの復興をクィア史の一部として捉え直している。

そこで焦点が当てられているのは、「誰か一人が現代ピアスを発明した」という単純な物語ではなく、ゲイ、クィア、レザー、フェティッシュ、アーティストなどの人的ネットワークである。ジム・ウォードだけでなく、写真家エフライン・ゴンザレス、パフォーマンスアーティストのロン・エイシー、写真家キャサリン・オピーなど、1980年代から1990年代のクィアな芸術や性的アンダーグラウンドに関係した人々の資料も取り上げられている。現代的なボディピアス文化の一部が、こうした人々の交流の中から形成されたことが、保存された資料を通じて改めて明らかにされつつある。

同時に、ピアスの歴史はゲイカルチャーだけにとどまるものでもなかった。1970年代末から1980年代には、パンクやニューウェーブをはじめとする若者のサブカルチャーでも、ピアスは既存の美意識や社会規範への反発を表すファッションとして広がった。1990年代以降になると、音楽やストリートファッション、著名人のスタイルなどを通じて、耳以外のボディピアスも一般社会に知られるようになり、次第に性的指向や特定のサブカルチャーとは切り離されていった。

この変化には、ある意味で逆説的なところがある。かつて社会の周縁に置かれていたゲイ男性やクィアな人々、レザーやフェティッシュ文化の参加者たちが、互いに情報を交換しながら育ててきた身体表現の一部が、時間を経て一般社会へ浸透し、その由来を意識しなくても楽しめるファッションになったからである。

現在では、ピアスを見ただけで、その人の性的指向を判断することはできない。右耳のコードも、ほぼ歴史上の話になった。それでも、現代のボディピアス文化が形づくられた重要な時期に、ゲイ男性やクィアコミュニティが一つの中心的な舞台を担っていたことは、当事者の回想、専門誌、写真、書簡、学術研究、アーカイブ資料から確認することができる。今日では誰もが自由に選ぶことのできる小さなアクセサリーの背後にも、自分の身体を自分の方法で表現しようとしてきた人々の歴史が積み重なっている。

ユウト
ユウト

僕はピアスに抵抗があるんだ。体を傷つけるので、傷口が痒くなったり、膿んだりしたら嫌だからね。

ショウイチ
ショウイチ

耳のピアスは、男女問わず、一般的なファッションよ。専門店で正しく穴を開けてもらえば、トラブルになることはないはず。

ユウト
ユウト

でも、ピアスの穴から白い糸が出てきて、それを引っ張ったら失明したって話があるじゃない?こういうのを聞くと、やっぱり怖いんだよね。

ショウイチ
ショウイチ

それは都市伝説で嘘っぱちだわ。信じないでよ。

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