推理小説作家・江戸川乱歩は同性愛者か?
江戸川乱歩(1894~1965年)は、日本を代表する推理小説作家の一人です。特に、名探偵・明智小五郎を主人公にした探偵小説シリーズで知られ、推理小説の新たな地平を切り開きました。乱歩の作品には幻想的でエロティックな要素が多く含まれ、サスペンスやミステリーの枠を超えて、心理的な深層や人間の異常性を描き出します。一方、小中学生を読者対象とした『少年倶楽部』において『少年探偵団』シリーズを連載し、若年層からも支持を集めました。
乱歩の作品には同性愛的な要素が見られると指摘されます。また、乱歩の私生活に関する資料や、作品における美少年描写、男性同士の異様な執着、フェティシズム的な傾向などから、乱歩に同性愛的な指向があった可能性があったという説もあります。これらの説に関する議論を整理して、乱歩の内面に迫ってみましょう。

僕が通った小学校の図書室にも『少年探偵団』シリーズがそろっていて、おどろおどろしい表紙に惹かれて一冊だけ借りてみたことがある。でも、推理小説がどうにも肌に合わなくて、途中で挫折しちゃったんだ。これがきっかけで、しばらく江戸川乱歩の本を手に取ることはなかった。10年後くらいに『人間椅子』や『パノラマ島奇談』などを読んで、変態的な描写の興味を持ったね。
江戸川乱歩は美少年に強く心惹かれていた
乱歩は家庭を持っていました。3歳年下の小学校教員・村山隆子と結婚し、その間に長男・隆太郎が生まれます。一方で、随筆や日記には、美少年への憧れを示唆するような記述が散見されます。たとえば、自伝『探偵小説四十年』の中で、乱歩は幼少期から「美しいものに強く惹かれる性質」であったと述べています。国文学者の荒川紘は、乱歩の作品に登場する美少年が単なる美的対象ではなく、「狂気的な愛の対象」として描かれている点に注目し、これが彼の深層心理の反映ではないかと指摘しています。
また、乱歩の書簡には、美少年に対する憧憬を感じさせる表現が含まれています。心理学者の中川右介は、「乱歩の作品におけるフェティシズム的傾向が、彼の内面の性的欲求とリンクしていた可能性は否定できない」と述べ、こうした要素が作品に反映されている可能性を指摘します。
美少年崇拝や男性同士の異様な執着の描写
乱歩の作品では、美少年崇拝が顕著に描写されます。『パノラマ島奇談』では、主人公が美青年・小林芳雄の死体を利用し、彼になりすまして生きるという異常な設定が描かれます。乱歩はこの青年の美しさを強調し、彼の死体を「夢のように美しい」と形容します。文芸評論家の紀田順一郎は、「乱歩はしばしば『死』と『美』を結びつけるが、それは同時に禁忌的な愛の表現でもある」と述べ、ここに社会的に認められない愛の形が象徴的に表現されていると考察します。
また、『押絵と旅する男』には、ある男が若き日に見た美少年の姿を忘れられず、彼を追い求め続けるという幻想的なストーリーが展開されます。文学研究者の清水孝は、この作品について「乱歩の美意識の根幹には、少年時代への回帰願望があり、その中で理想の美少年を追い求めることで失われた純粋性を取り戻そうとしている」と論じています。
また、男性同士の異様な執着を感じさせる描写もあります。代表的な例は、『D坂の殺人事件』における明智小五郎と「私」(探偵小説家)の関係です。明智は知的で男らしい人物として描かれる一方、「私」は明智に対して特別な感情を抱いているように描写されます。評論家の平山雄一は、「この語り手と明智の関係性は、探偵と助手という単なる職業的なつながりを超え、精神的な結びつきを強く感じさせる」と指摘し、これを同性愛的なニュアンスを持つものと解釈しています。
異性愛と同性愛の垣根を超えた性的倒錯
乱歩の作品で描写されるエロティシズムには、異性愛と同性愛の垣根を超えた性的倒錯の要素が含まれます。『人間椅子』では、男が椅子の中に潜み、女性の体温を感じることで快楽を得るというフェティシズムを描いた物語です。この「他者の肉体を通じた快楽」というテーマは、異性愛に限定されず、より広義の性的倒錯を示している可能性があるとされます。心理学者の三浦雅士は、「乱歩のエロティシズムは異性愛・同性愛の区別を超えた『異常心理』の領域にあり、その中で同性愛的な要素も無意識的に表現されている」と述べています。
また、『陰獣』では、主人公がもう一人の男性に異様な執着を抱き、その感情が一種の倒錯した愛にも読める構造です。作家の筒井康隆は、「乱歩の登場人物は、性的倒錯と犯罪を絡めて描かれることが多く、その中には異性愛の枠に収まりきらない感情も含まれている」と述べています。
文学評論家の巖谷大四は、「乱歩の作品には、当時の社会では表立って描けなかった同性愛的要素が、フェティシズムや幻想の形で隠されている可能性がある」と指摘します。こうした社会の禁忌を作品へと昇華した乱歩が、必ずしも同性愛者であったと断定することはできません。しかし、乱歩の作品には、美少年崇拝や、男性同士の異様な執着、フェティシズム的傾向を含んだエロティシズムが頻繁に見られます。これらは単なる物語上の設定ではなく、乱歩自身の内面に深く根ざしたものであるのかもしれません。

乱歩はゲイというより、バイだったのかもしれないね。ゲイの中にも、女性と結婚して家庭を築いて、男が好きだってことを誰にも打ち明けないまま一生を終える男は結構いる。

乱歩は自らが抱える性的倒錯と向き合い、それをそのまま公表するんじゃなくて、小説というエンターテイメントにしてたんじゃないかな?何を描いてもOKなフィクションの強みを上手く活かしたんだと思う。




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